パン作りの効率化や風味のアップが期待できるとされるオーバーナイト法は、今や家庭製パンのみならずほとんどのベーカリーで活用されている製法です。
しかし、オーバーナイトさせるタイミングによっては生地は全くの別物になり、配合から調整しなければならない場合もあります。
この記事では、ソフト系・ハード系でそれぞれ三種類のオーバーナイト法を比較し、焼き上がりの違いからレシピの調整方法などを解説します。
三種類のオーバーナイト法とは?
オーバーナイト法はどの工程で生地を一晩寝かせるかによって、さらに細かく3種類に分けられます。
- 生地冷蔵法
- 生地玉冷蔵法
- 成形冷蔵法
生地冷蔵法(バルク冷蔵)
一次発酵の工程で生地を冷蔵で一晩寝かせる製法を「生地冷蔵法」と言います。
ただし、冷蔵ではない温度帯で一晩寝かせるレシピだとこの言葉は当てはまらず、正確に言い表す言葉も無いので僕は冷蔵も常温も包括して「バルクオーバーナイト」と呼んでいます。
パン作りの中でも最も時間のかかる一次発酵の大部分をオーバーナイトにすることで、体感的な製造時間を大幅に短縮することが可能です。
そのため家庭製パンでは以前から人気が高く、ベーカリーでも自家製酵母生地など発酵に時間がかかるアイテムでよく活用されています。
生地玉冷蔵法
分割・丸めをした生地玉を冷蔵で一晩寝かせる製法を「生地玉冷蔵法」と言います。
多くのベーカリーで活用される製法で、多くのメリットがあります。
- 翌日の朝、成形から開始できるため効率的。
- 売れ行きを見て、追加したいパンを臨機応変に作ることが可能。
- 数日分の生地をストックしておける。
- 生地が小さくすぐ冷えるため、過発酵の心配が無い。
- 製品の安定性に優れている。
この製法では生地玉を0℃付近で保管することが一般的なので「生地玉冷蔵法」という呼び方だけで十分ですが、「生地玉オーバーナイト」と呼ぶことも出来ます。
成形冷蔵法
成形した生地を一晩冷蔵する製法を「成形冷蔵法」と言います。
翌日の工程は追加の最終発酵と焼成、あるいはドウコンディショナー1を導入しているベーカリーなら翌朝には既に発酵完了して焼くだけの状態にすることも可能です。
家庭製パンでも朝に焼きたてパンが食べられるとの謳い文句で近年ブームになりつつありますが、実は上手に仕上げるには様々なコツと調整が必要な、難易度の高いオーバーナイト法でもあります。
オーバーナイト法の中でも冷蔵発酵では、低温発酵から翌日の復温による常温発酵まで、様々な温度帯での発酵により異なる発酵風味成分が生成されます。
成形冷蔵法ではその成分を内包した生地に手を加えることなく焼成に移るため、最も発酵風味豊かなパンが焼きあがると言われている製法でもあります。
これも基本的に冷蔵以下の温度帯で寝かせるため「成形冷蔵法」という呼び方だけで十分ですが、「成形オーバーナイト」と呼んでも良いでしょう。
バターロールでオーバーナイト比較
まずはパン作りの基本とも言われるバターロールで三種のオーバーナイト法を比較してみましょう。
使用した配合はこちら。
材料 | BP(%) |
強力粉 | 100 |
セミドライ | 1.4 |
上白糖 | 12 |
食塩 | 1.8 |
脱脂粉乳 | 3 |
水 | 60 |
バター | 20 |
一般的な配合では卵が使用されることが多いので、この配合は卵が無い分だけ風味がシンプルです。
とはいえバターは元々多いため、バターの香りがこのパンの風味の大部分を担っています。
この条件で発酵風味の差が感じられるのかどうか?
そして生地感の微妙な違いが形状に大きく表れるロール成形、異なるオーバーナイトでどのように差が現れるのか注目です。
焼き上がりの違い
バルク冷蔵と生地玉冷蔵はかなり近い仕上がりになりましたが、成形冷蔵だけ差が目立ちます。
まず大きさが小さいこと。
そして生地表面の滑らかさに欠けること。ほんの少しだけ「フィッシュアイ」と呼ばれる冷蔵障害が出ています。
断面を見てみましょう。
焼成後にショックを入れ忘れて、左の2つは底が潰れてしまっていますが…
実際の焼き上がりはもっと大きく腰高だったということです。
対して成形冷蔵は底の潰れも目立たず、それでいてこのサイズ感。明らかに小さいですね。
単純に成形冷蔵だけ発酵が足りなかっただけじゃないの?
しかし発酵は決して不足しておらず、むしろこれ以上発酵させるのは厳しいのです。
その理由は底を見ればわかります。
左二つは底の面積がそこまで広くなく、プリっと腰高に膨らんだことがわかります。
これは最終発酵後も生地にコシが程よく残っていた証拠です。
本当はもう少し面積が狭いのがベストなんだけどね…
しかし成形冷蔵は底面積が広く、生地が横にダレていたことがわかります。
これは最終発酵によって生地のコシが緩みすぎた証拠です。
これを「過発酵」と一言で表されることも多いのですが、実際には発酵が進みすぎたわけではなく、長時間寝かせたことで生地が緩みすぎたことが原因です。
風味や食感の違い
冷蔵発酵法は最も発酵風味が豊かであると言われていますが、バターロールの比較においては明確な差を感じ取ることが出来ませんでした。
しかし食感には差がありました。
成形冷蔵は膨らみが小さいためふわふわ感には欠けるのですが、引きがあまり強くなく歯切れが良い印象でした。
サンドイッチに活用するならこれぐらい歯切れが良い方が食べやすくて良いかもしれません。
フランスパン(バゲット)でオーバーナイト比較
続いてシンプルな材料故に工程の影響を受けやすいフランスパン(バゲット)で比較してみましょう。
使用した配合はこちら。
材料 | BP(%) |
準強力粉 | 100 |
赤サフ | 0.3 |
食塩 | 2 |
水 | 72 |
発酵風味の差が現れやすいといわれるフランスパン生地ですが、オーバーナイト法の違いによってもその差は現れるのでしょうか?
また、クープの開き加減は生地感の微妙な差が大きく影響するため、焼き上がりの見た目にも要注目です。
焼き上がりの違い
三種類とも大きな差が見られました。
特に変化が大きいのが成形冷蔵。クープの開きがかなり弱いです。
最も元気よく開いたのがバルク冷蔵。エッジの立ち方もしっかりしています。
長さの違いも製法による差です。左から順番に長くなっていますが、それは膨らみが良いというわけではありません。
その証拠は断面を見ればわかります。
バルク冷蔵は最も腰高に膨らんでいますが、一方で成形冷蔵は横にダレた偏平な形状です。
気泡膜も成形冷蔵が最もぶ厚く、膨らみの弱さが伺えます。
風味や食感の違い
微々たる差ではありますが、成形冷蔵は香りが凝縮しているような印象で、バルク冷蔵はあっさりした香りの印象、生地玉冷蔵はその中間といった具合です。
食感の違いとして目立っていたのはクラム2のモチモチ・しっとり感。
成形冷蔵は気泡膜の密度が高いため、モチモチとしたみずみずしさが際立っていました。
しかし、これは成形冷蔵法による効果というよりは成形冷蔵法で上手に作れなかったことによる弊害です。
膨らみが悪ければ気泡膜が分厚くなるのは当然です、膨らみの悪さは成形冷蔵特有の効果ではなく、あらゆる失敗の結果です。
今回は比較実験なので全て同じ配合で作ったためにこの結果が得られただけです。
「レシピ調整をせずに作るとこうなってしまう」と解釈してください。
香りの差に関しても、気泡膜の厚さの違いによる影響はゼロではないはずです。基本的にパンは内相が密であるほど水分は蒸発しにくいものです。ということは、内部の香り成分も揮発しにくいはずです。
オーバーナイトのタイミングで生地が別物になる理由
今回の実験結果から、バターロール・フランスパンともに成形冷蔵だと生地がダレてしまいボリュームが低下してしまうことがわかりました。
一方でバルク冷蔵・生地玉冷蔵に関しては、フランスパンでは差が目立つもののバターロールではほとんど目立ちませんでした。
なぜオーバーナイトさせるタイミングが違うとこのような差が生まれるのでしょうか?
そのポイントは「焼成前に手を加えるか否か」です。
ここで、三種のオーバーナイト法それぞれの工程の流れを確認しましょう。
人の手が加わる工程には手の平アイコンを、オーバーナイトで長時間寝かせる工程には月アイコンを貼り付けています。
バルク冷蔵・生地玉冷蔵ではオーバーナイト後に人の手が加わります。それにより長時間の寝かせで緩んだ生地のコシが復活します。バルク冷蔵では二度も手が加わるためその効果はより大きいです。
一方で成形冷蔵はどうでしょう?
オーバーナイト後に人の手が加わりません。そのため生地が緩んだまま焼成に移ります。
これが成形冷蔵法が他のオーバーナイトと大きく異なる点です。
バターロールの比較ではバルク冷蔵・生地玉冷蔵の間に大きな差が無かったのは、ロール成型が二段階成形であるからです。
生地玉を一度しずく型にした後、5分ほど休ませてから麺棒で伸ばして巻く。仮成型と本成型の二段構えのため人の手が2回加わることになります。
二回の中で生地のコンディションを整えることが可能であるために大きな差が出なかったと言えます。
3種のオーバーナイトで異なるレシピ調整
バルク冷蔵・生地玉冷蔵の場合
バルク冷蔵・生地玉冷蔵では長時間の寝かせの後に人の手が加わるため、一般的なストレート法と比べて生地のコシがより強くなり、そして引きの強い食感になる傾向があります。
引きの強いムチっとした食感を目指しているなら調整しなくても良いのですが、ある程度の歯切れ良さを求めるならば生地のパワーを少し下げる必要があります。
以下に配合調整の例を挙げます。
- グルテン量の少ない粉の使用
- 薄力粉のブレンド
- ビタミンCの使用を避ける(インスタントイーストなど)
- こね具合をやや控えめにする
インスタントをセミドライや生イーストに変えるだけでもかなり歯切れ良くなります!
成形冷蔵の場合
成形冷蔵では長い最終発酵の末に緩んだ生地のコシを復活させることが出来ません。
そのため、それを見越した配合調整と力強い成形が必要です。
以下に配合調整の例を挙げます。
- 仕込み水を減らす
- グルテン量の多い粉の使用
- 硬水の使用
- ビタミンCの使用(インスタントイーストなど)
- 生地を弱酸性に仕上げる(炭酸水や発酵種など)
ゴールデンヨットなどビタミンCが添加されている粉もあるよ
逆に緩む効果を与える材料もあるので注意が必要です。
- 軟水
- 酵素活性の高い粉(主に高灰分)
- 酵素を含む素材(モルトや麹など)
- 死滅酵母を含むイースト(予備発酵タイプのドライイーストなど)
- アルカリイオン水
まとめクイズ
A.×
オーバーナイトの後に生地のコシを復活させることが出来ない為、それを見越して通常より硬めに仕上げる必要があります。
A.正しくない
赤サフには酸化剤「ビタミンC」が含まれており、グルテン酸化を促進し生地のコシが強化されてしまいます。コシの弱い生地を作りたいならビタミンC無添加のイーストを使用すべきです。
<脚注>