パン生地が「パン」として完成するには、加熱による「でんぷんのα化(糊化)」の化学反応が欠かせません。
α化度が低いと消化に悪いパンとなり、おなかの中で菌のエサとなり大量のガスを発生する要因にもなります。
この記事では、美味しくて安全なパンを作るために必要不可欠な「でんぷんのα化」について解説します。
パン作りにおけるでんぷんの役割
グルテンは「柱」
でんぷんは「壁」
パン生地の骨格となるのはグルテンですが、それだけではパンの形状は維持できません。
でんぷん分子がグルテンの網目構造の間を敷き詰めるように存在することで「壁」のような役割を果たし、それで初めて発酵で生成された炭酸ガスを保持でき、焼成後の形状を維持することが可能となります。
ここで一つ面白い実験を紹介します。
パン生地を水でゴシゴシ洗うと、でんぷんが水に流れ出ていき最後にはグルテンが残ります。
そのグルテンだけをまとめ合わせて焼成すると、オーブンの中では勢いよく膨らみますが出した途端に萎んで元の大きさに戻ってしまいます。
グルテンは「柱」と言えど、実際にはゴムのように弾力があり元の形に戻ろうとする力のある物質ですから、「壁」となって形を保つでんぷんが無ければ意味が無いということですね。
でんぷんの構造
でんぷんは小麦粉の約7割を占める主成分で、パン作りにおいてグルテンと並んで重要な役割を果たしています。
でんぷんの基本的な構造は以下の通りです。
一つ一つが球体または楕円体の粒であり、膜の中にでんぷん物質である「アミロース」と「アミロペクチン」が存在しています。どちらも無数のブドウ糖が連なって出来た高分子1です。
食感や保湿性を左右する「アミロースとアミロペクチンの割合」
でんぷん粒に含まれている2種類のでんぷん物質「アミロース」と「アミロペクチン」は、その含有割合の差によって食品の食感や保湿性が大きく変わります。
ところで、これらの物質には別名があります。
アミロース…「粳」
アミロペクチン…「糯」
それぞれうるち米やもち米のことを指して言う場合もありますが、でんぷんの性質を表す言葉でもあります。
もち米のでんぷんにはアミロペクチンがほぼ100%で、アミロースはゼロに等しいと言えます。
アミロペクチンは無数に連なるブドウ糖分子が枝分かれした形状をしており、その枝がお互いに引っ掛かる結果としてお餅特有の「びよ~ん」と伸びる千切れにくい性質になっています。
一方でうるち米にはアミロースが20%ほど含まれています。
アミロースはブドウ糖分子が直鎖状に連なるだけで、螺旋状にはなっていても枝分かれはしていません。
そのため引っ掛かりが弱く、うるち米を臼と杵でついても「びよ~ん」と伸びるお餅にはなりません。
これらの形状の違いは、なんと食品の保湿性にも影響を与えます。
アミロペクチンの無数の枝の隙間には水分子が入り込むことが出来ます。それはα化の過程を経てもなおしっかり抱き込まれ保持されるため保湿性がアップします。
一方でアミロースは水分子を抱き込むことが出来ないため蒸発して逃げてしまい、パサつきの原因となります。
タイ米がパサパサするのもアミロースを30%近くも含んでいることが原因です。
パンの保湿性にもアミロペクチンが関係している
米と同様に、小麦も種類によってでんぷん物質の割合が異なり、保湿性の高さに影響を与えています。
一般的には小麦のでんぷん組成はアミロース30:アミロペクチン70なので、タイ米と同等です。
しかしそれは種類によって異なり、特に国産小麦はアミロースの割合が少ない傾向にあり、モチモチ感の要因の一つとも言えます。
アミロースが少ない、つまりアミロペクチンが多い小麦粉を使えば、パンも保湿性としっとり感が向上します。
パンの食感を左右するのは
グルテンだけではありません!
【最新の研究】でんぷん膜を構成する物質
でんぷん粒にはたんぱく質から成り立つ膜があり、その表層に微細な油滴として脂質が存在することが近年の研究2で明らかになっています。
そしてこれらの存在が、種類の異なる粉で粘性や老化耐性などの特徴に差があることの要因にもなっています。
でんぷんの特徴が異なる要因は
アミロース量の差だけじゃないってことだね
加熱によるでんぷんの変化「α化の流れ」
焼成による温度上昇によって、生地のでんぷんは以下のような流れで変化します。
- 40~60℃「水和」
- 60~70℃「膨潤」
- 70℃~「膨潤~アミロースの溶出~」
- 82~83℃「完全なα化(糊化)」
- 85℃~「水蒸気の放出」
- 95℃「固化~クラムの完成~」
それぞれどんな現象が起こっているのか、詳しくみていきましょう!
40~60℃「水和」
この温度帯ではでんぷん粒が水分子を吸収し、徐々に膨らんでいきます。
60~70℃「膨潤」
でんぷん粒の吸水はまだ続きます。
そしてこの温度帯ではグルテンから水が脱水されるため、その水をでんぷんが吸収することで膨潤がさらに進みます。
70℃~「膨潤~アミロースの溶出~」
グルテンからの離水をでんぷんが更に吸収することで膨潤が進み、この温度帯からでんぷん粒の中で水に溶けたアミロースが溶出し、でんぷん膜がかなりふやけた状態になります。
82~83℃「完全なα化(糊化)」
この温度にまで達してようやくでんぷん粒は十分にα化した状態となります。
水を極限まで吸収したでんぷん粒からは更に多くのアミロースが溶出し、それらはゲル化してでんぷん粒とでんぷん粒の間を埋める役割を果たします。
ただし、パン生地の全てのでんぷんが完全にα化できるわけではありません。
でんぷんは水をかなり吸収する性質があり、でんぷんの約10倍量の水がなければ全てのでんぷんが完全にα化することは出来ないとされています。
パン生地の中ではでんぷん粒同士で水分を奪い合っている状態だということを忘れてはいけません。
85℃~「水蒸気の放出」
でんぷん粒の中の水が蒸発し、水蒸気として外に放出されます。
それによりでんぷんが固化し、徐々にパンの「壁」が出来上がります。
95℃「固化~クラムの完成~」
この温度でようやく生地内のでんぷんの固化が終わり、脱水されたグルテンと共にパンを支える柱と壁となり、パン特有のスポンジ状のクラム3が完成します。
α化度(糊化度)を高めることがパンを美味しくする
でんぷんは十分にα化することで消化されやすくなります。
消化されやすくなるということは、唾液中の酵素「アミラーゼ」による分解を受けやすくなるということで、噛めば噛むほど甘さが引き立つようになります。
パンのα化度を高めるには、以下の方法が考えられます。
- 十分な焼成
- 十分な仕込み水量
- 湯種法の採用
- 高加水製法の採用
特に上から二点は最低限重要なポイントであり、これらが上手く出来ていないと消化に悪く美味しさに欠けるパンになってしまいます。
じゃあ、とにかく長く焼けば良いってこと?
時間よりも”質”が大事です!
火通りの悪い型で焼くと、型との接地面が白く焼きあがることがよくあります。
これだと長時間焼いても接地していない頭部ばかりが焼けて、側面は火通りが悪くα化度も低く仕上がってしまう恐れがあります。
また、ハイジの白パンのような白焼きパンでは、焼成不足で「ヌチャッ」とした食感のまま販売されていることもあります。
恐らく酵母菌はちゃんと死滅しており、生焼けとまでは言えません。
それでもα化度が通常よりかなり低いため消化に悪く、最悪お腹の中でガスを発生させる要因になってしまいます。(半生焼け、と言ってもいいかもしれません)
火通りの良い型を使ったり、しっかり下火からの熱を与えたり、十分な火通りを意識することが美味しくて安全なパンを作る上で重要です。
水は多ければ多いほど良いってこと?
作りたいパン次第で最適吸水は変わってきます。
無暗に多くしすぎても失敗に繋がりますよ。
損傷でんぷんとは? ~発酵にも影響を与える重要な物質~
小麦粉に含まれるでんぷんは全てが完全な粒状を保っているわけではありません。
全でんぷんの内、10~15%は損傷でんぷんです。これは製粉工程でローラーを通過する際に物理的圧力によって損傷したものです。
(損傷していないでんぷんのことを「健全でんぷん」と呼びます。)
パン作りではこの損傷でんぷんが重要な役割を担っています。
- 優先的なα化(糊化)
- 糖化による酵母菌の栄養補給
粒が損傷しているため欠けた部分から素早く水を吸収することができます。
生地中の全てのでんぷんが完全にα化できるわけではないとこちらの項目で説明しましたが、その中でも損傷でんぷんは優先的にα化することができます。
また、フランスパンなどの無糖生地における発酵にも大きな影響を与えます。
健全でんぷんはミキシング中及び発酵中に水を吸うことはありませんが、損傷でんぷんは欠けた部分から吸水することが出来るため、その工程でも水和・膨潤します。
その結果、でんぷん分解酵素「アミラーゼ」の作用を受けることが出来、損傷でんぷんの50~60%は麦芽糖へと分解されます。これが無糖生地での酵母菌の栄養源となります。
残りの40~50%の損傷でんぷんは麦芽糖までは分解されず、デキストリン(多糖類)の状態でストップします。
これは焼成時に水を吸収し粘りが生じ、でんぷんやグルテンの間を埋めてパンの骨格を補強する役割を担います。
まとめ
ここで学んだポイントをおさらいしましょう!
- でんぷんは「壁」の役割を果たし、グルテンと並びパンの形状を支える重要な物質である。
- アミロースの割合が少ないほどパンの保湿性も向上する。
- α化度を高めることでより美味しいパンが出来る。
- 無糖生地の発酵では損傷でんぷんの糖化が重要。
でんぷんの構造やα化の仕組みを知ることで、美味しいパンを作るためのヒントに繋がります。
グルテンの仕組みばかりが注目されがちですが、同じくらい重要なポイントですのでしっかり理解しマスターしましょう!
<脚注>
参考文献
「パンづくりのメカニズムとアルゴリズム」(著:吉野精一)
「デンプン粒膜および構成成分がデンプンの理化学特性に与える影響の解明」(東京農業大学リポジトリ)