パンの焼成は、私たちが思っている以上にオーブン庫内・生地内部ともに急激に大きな変化が起こっています。
その原理を知っておくことで、パン作りで壁にぶつかった際に解決策を容易に考えられるようになります。
この記事では、焼成中にどのような現象・変化を遂げて美味しいパンが完成するのかを科学的に解説します。
- パン生地がパンになる原理を理解できる。
- 焼成管理の重要性がわかる。
- パンの美味しさを操るヒントが得られる。
【生地表面に水膜が出来る⁉】焼成中の物理的現象
オーブンに生地を入れた直後から、物理的にはこのような現象が順番に起こります。
- オーブン庫内との温度差で生地表面に結露が発生、薄い水膜ができる。
- 生地の水分に溶けていたガスが分離。
- アルコールの蒸発、ガスの膨張、水の蒸発により体積が急激に増加する。
結露による水膜はクラスト1の形成を遅らせ、窯伸びの向上に寄与します。
また、発酵で生地内に生成されたアルコールも、蒸発と同時に生地表面から温度を奪います(「気化熱2」という現象)。
そのため焼成中の表面温度は意外と上昇が遅くなり、これもクラスト形成を遅らせることにに寄与しています。
発酵不足だとなぜ窯伸びが悪くなる?
上記の物理現象を踏まえて考えると、発酵不足の生地の膨らみが悪い理由は想像よりも多いことがわかります。
- 単純に生地が小さい状態で焼き始めたから
- 弾力が十分に緩んでいないから
- 熱膨張する炭酸ガスが少ないから
- 生地水分に溶け込んでいるガスも少ないから
- 気化熱が期待できるアルコールが少ないから
上二つは容易に想像がつきますが、残りの三つは焼成中の現象を理解していないと想像すら出来ませんね。
パン生地が「パン」になるまでの過程
パン生地の主原料は小麦粉であり、小麦粉の主成分はでんぷんです。
本来のでんぷんは粒状ですが、オーブンに入れ生地温度の上昇に伴い様々な状態へと変化します。
また、骨格であるグルテンも温度により状態が変化します。
それぞれの温度帯に応じてこのような流れで生地は変化していきます。
でんぷん粒が水を吸って膨らむ(膨潤)。外膜がふやける。
↓
でんぷんの外膜が破れ、中からアミロースとアミロペクチンが流出し粘り気が増す(「糊化(α化)」)。全体がゲル化してゼリー状となる。
グルテンはでんぷんに水分を奪われ、74℃近辺から凝固する。
↓
でんぷん粒に含まれる水分が徐々に蒸発していき、固化が進む。
↓
余分な水分はほとんど蒸発し、でんぷんは完全に固化する。グルテンは失活し、骨格としての役割はα化したでんぷんが担う。
この段階でパン特有のスポンジ状のクラム3が形成される。
※温度は全て中心温度
でんぷんが完全にα化するのに必要な水分量
でんぷんが完全にα化(糊化)するためには、でんぷんの3倍の水が必要です。
しかしパン生地に含まれる水分はせいぜい粉100に対して70前後。
小麦粉の約70%がでんぷんですので、パン生地はでんぷん70に対して水70で作られていると言えます。
つまり、完全なα化にはかなり不足しているんです。
α化の度合いは口溶けや消化の良し悪しに大きく影響します。
お米は噛めば噛むほど甘くなるけど、パンからはそのような変化が感じられないのもそのせいです。お米の方がα化度が高いのです。
そんなお米のポテンシャルに近づくための製法が、高加水製法や湯種法です。
通常より多量の水分量で生地を仕込む製法。
当然、生地はベタつき柔らかいため難易度は高いが、通常の配合では得られない口溶けが得られる。
(例)パン・リュスティックやパン・ド・ロデブなど。
使用する小麦粉の一部を事前に熱湯と練り合わせて「湯種」を作り、それを本捏ね時に他の材料と混合して生地を仕込む製法。
湯種に使用する粉のグルテンは熱で失活したりでんぷんが糊化して粘りが出るためデリケートかつ扱いづらい生地になるが、通常では得られない口溶けやしっとり感、そして保湿性が得られる。
焼き色の形成
生地の表面温度が155℃を超えると、糖分とアミノ酸が結合する「メイラード反応」が急速に進みます。
この時、焼き色の素となる褐色物質「メラノイジン」と、パンの香ばしさの素となる香り成分が生成されます。
糖分はわかるけど、アミノ酸なんてどこから来たの?
小麦粉に元々含まれていたり、卵・牛乳などの副材料にも含まれています。
並行してカラメル化反応も起こります。
こちらは糖分単体で進む現象で、100℃以上で発生し185℃以上で急速に進みます。
糖の分子が分解・結合など様々な変化をし、カラメランやカラメレン、カラメリンといった様々な物質となります。
これらの物質には褐色の色合いや特有の香ばしい風味があるため、これもパンの焼き色や香りに関わっていると言えます。
パンの香りを司る3つの要素
パンの香りはこれら三つの要素で成り立っています。
特に焼成風味はパンのクラストから発せられる香りのため、最も印象強い香りと言えます。
故に、焼き加減の差はそのままパンの香りの差として表れるため、「焼成担当は最も責任重大なポジションだ」と語る職人は多いです。
同じ生地でも白焼きしたパンからは焼成風味は感じられず、素材風味と発酵風味のみで成り立っているためしっかり焼いたパンとは全く香りが異なります。
同じような材料を使っていても、無発酵で作るナンやチャパティからは「パンらしい風味」が感じられず別物という印象を受けます。焼成風味と素材風味のみで成り立っている証拠です。
発酵させる生地同士で比べても、発酵時間によってその風味の深さが異なるため、短時間製法のパンは発酵風味が弱く素材風味が際立ちます。
- 発酵具合の見極めで、延長すべきかどうか迷わなくなる
- 気温や生地温の違いでレシピ通りに膨らまなくても、ベストな発酵具合に調整できる
砂糖を使わない生地はなぜ焼き色が付く?
フランスパンには砂糖は使わないけど、なんで焼き色が付くの?
メイラード反応とはまた別?
無糖生地においても焼き色はメイラード反応によるものです。
元々小麦粉には微量の糖分が含まれているので、それがメイラード反応に関わるというのがまず一つ。
もう一つは酵素分解による糖分生成です。
生地を仕込んでから焼くまでの間、小麦粉に元々含まれている酵素「アミラーゼ」がでんぷんを麦芽糖に分解します。
この麦芽糖が酵母菌のエサとなったり焼成でのメイラード反応の原料となります。
通常の精製された白い小麦粉は、製粉時の機械熱や物理的圧力で酵素がほとんど壊れています。
そのため無糖生地を作る際は酵素活性が程よく残っているフランスパン専用粉を使ったり、酵素が豊富に含まれているモルトや麹を活用することが望ましいです。
酵母と酵素の活性
先述の物理的現象や科学的変化に加えて、生地中の酵母菌や酵素にも変化が起きます。
- 生地温度が60℃に近付くと酵母菌が死滅していく。
- 60℃までは高温になるほど酵素作用が活発になる。プロテアーゼがたんぱく質を分解し、アミラーゼがでんぷんを分解することで、生地は柔らかくなり窯伸びにも寄与する。
まとめクイズ
A.「×(というか△)」。
焼く前の「パン生地」であればグルテンが骨格を担っていますが、焼いた後はでんぷんが骨格としての役割を担っています。
※ただしグルテンの強さはそのままパンの食感に繋がるため、完全にバツとも言えないのが正直なところです。
A.湯種法や高加水製法。
どちらもパンのα化度を高めることができる手法です。
配合にもよりますが、湯種法の方がよりパンのα化度は高まります。
<脚注>